写真で綴る野良猫達の物語


by nekogatari

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猫の肖像写真(H2)

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Hoshinoさんって、行動も言動もストレートで過激だから、つい影響を受けそうになる。
こういう人と組むときは、そっち側に引っ張られないように注意しなくちゃいけない。
とはいえ、影響を受けないようにするのは難しい。
なんとなく本人もその辺りを意図しながら発言しているように思えるしね。
そんなときは、わざと反発してみるのも面白い。

たとえば、「ただ一枚のポートレイト写真をポンと見せて、それで見る者の魂を揺さぶるのは難しい。」なんて書いたら、敢えてポートレートを挙げてみるとか。


色んな猫たちを見て実感するのは、猫にも個性があるという当たり前の事実。
甘えんぼだったり、気が強かったり、警戒心が強かったり…
一つの要素だけでなく、それらが複雑に組み合わさって一個の猫として存在している。

猫には猫の社会があり、一匹一匹がその社会の中で折り合って生きている。
人との付き合いにも上手い子と下手な子が居る。
猫にも喜怒哀楽があり、毎日必死で自分の人生(猫生?)を積み重ねている。

猫を単なる猫として見てると決して見えてこない。
可愛いとか可哀相だけでない、彼らの素顔。
そんな彼らの表情には、彼らの生きてきた人生(猫生?)が刻み込まれている。

猫をしっかり見つめ、猫の表情を捉えたいと思うなら、ポートレートに挑戦するのもアリでしょう。
いや、チャレンジしてみるべきだ。

いつか猫の心を伝えられることを信じて。

ちなみに、ここに載せた写真は、ノーファインダー。
ファインダーを覗かなくても、撮れるときは撮れるんだなぁ。
ダメなときは、ファインダーを覗いて何枚シャッター切ってもダメだけどね。
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by nekogatari | 2008-07-21 20:45 | H2

隙間に生きる (Hoshino)

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「東京 猫語り」のメンバーなのに、最近東京の猫さんを撮って無い私。
これじゃイカン!そしてガソリン代も高いし、海は混んでるんで、、、
久々に(2年ぶり位かな)近場の下町を軽く歩いてみました。

「下町っぽく撮ろう」なんて考えは、やっぱり全く湧きませんでした。 
無理に町並みを入れた所で、「武田 花」さんが撮ってた頃の様な町並みは、東京にはもう無いんですよ。 かろうじて残ってる場所も、建て替えさえ出来ずに残ってしまった場所なんじゃないかな。

むしろ「ゴチャゴチャ新旧入り混じった街」や、「空虚な空き地や隙間だらけの街」、「無秩序に放置された街」を撮ってこそ『平成も既に20年の東京を生きた猫』の生きた証なんじゃないかなって思います。

とか言いながら、、、全然いつもと変らぬ写真ばかりでした。 
平成20年を生きる東京の猫は、お二人に任せましたよ。 ハイ。
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by nekogatari | 2008-07-20 23:58 | Hoshino
-前の続き-

ちょっと頭を切り替えて、誰でも実感しやすい、料理で喩えてみます。

大人になってから料理をし始める人って、最初は簡単なレシピ本を買って始めることが多いですよね。
たとえば『レンジでできる簡単オカズ』なんて本。
その本を手本に料理を作ってみる。

レシピどおりに食材を切って、レシピどおりにレンジに入れてセット。
最初はちょっと微妙だけど、2,3回くらいでそれなりに味になる。
なんだ料理って簡単! あたしって料理の才能あるかもぉ~。
なんてプチ自画自賛。
本の中の他のメニューに挑戦しても、う~ん、デリぃしゃす!
ま、こんなモンでしょう。

ところが、毎日食べると飽きてくる。
メニューを代えても、なぜか似たような味。
理由は簡単、「レンジでできる簡単オカズ」しか作ってないからなんです。
食材切ってレンジに放り込み時間をセットさせるだけ。
本のレシピは、だれでもそれなりに料理ができるように書いてます。
つまり、「誰が作っても同じ味」。

あれ?? どこかで聞いた話ですね。

好きな人や家族に食べさせたいなんて人は、これだとマズい。
家族は文句を言うし、恋人だったらケンカになるかもしれない。
だから必死で勉強する。
もうちょっとムズカシ目の料理本を買い、料理番組を見て、しまいには料理教室に通ったりするかも。
色々作ってみて、失敗して、自己嫌悪に陥りながら、また作る。

優しい彼氏(彼女)なら、なんとか食べてくれるかもしれない。
でも、子供や旦那さん(奥さん)なら、評価は辛辣。
せっかく一生懸命作ったのに!人の苦労も知らないで!
なんて思いながら、仕方なく勉強。
近所の奥さんにコツを習ったり、レストランの味を必死で覚えようとするでしょう。

そしてあっと言う間に、数年経つ。
気づくと家族の文句は減り、つらそうに食べていた恋人は、人生の伴侶になってるかもしれない。
そして近所には、我が家のカレーの作り方を自慢していることでしょう。

さて、なんの話しでしたっけ?
そうそう写真です。

ここまでの話、料理の部分をすべて写真に置き換えてみください。
すると…、あら不思議。
これってHoshinoさんが書かれたことと同じなんですよね。
並べるとこんな感じかな。(かっこ内は料理の喩え)
1. いっぱい撮る(いっぱい作って、いっぱい失敗)
2. 色々な写真を見る(レストランの味を勉強)
3. 多くの人に見せる(家族や恋人に食べてもらう)
4. 人の意見を聞く(実家のお母さんに味見してもらう??)


そうなんです、料理の上達方法と写真の上達方法ってほとんど同じなんですよ。

でね、上達するとどうなるか。

料理の上手い人って、料理を作る前に既に頭の中で料理ができちゃってるんです。
料理をするときは、その頭の中のプロセスをそのまま実行するだけ。
ほら、ベテランの主婦ってレシピなんて見ないでしょ?

これを写真に置き換えると。
写真のうまい人って頭の中で写したいものをきちんとイメージできて、それに沿った撮影ができる。
ただ、写真は料理にくらべてちょっとアーティスティック。
#料理はアーティスティックだと客を選びすぎちゃうからね。
だから、プロセスと違うことを試す頻度は増えるだろうけど、基本はたぶん同じ。

自分が撮りたいイメージがきちんとできてれば、あとはそれに合わせたカメラやレンズ、設定をする。
どこまで自分がやって、どこまでカメラにやらせるか、きちんと制御できる。
だから、上手い人の写真にはしっかり個性が写るんじゃないでしょうか。

で、私の考える「上手い写真の基準」とは。
自分の撮りたいイメージを写真できちんと表現できている」ということなんだと思います。

すばらしい、見事に繋がった。
パチパチパチ。(拍手!)

ここまで、書いててなんですが。
私は、まだその域には達してないなぁ。
料理だとね、ある程度できるんですけどねぇ。
そんなわけで、料理で喩えたのでした。
ちゃんちゃん。

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この写真、MARさんに教わった場所で撮影。
写真を見て、私はMARさんのようには撮れないなぁっと実感。
でも、この子の表情。
なんとなく好きなんですよねぇ。
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by nekogatari | 2008-07-19 18:07 | H2
Hoshinoさんの話って、重要なキーワードがちりばめられてるので読むほどに勉強になりますね。
キーワードをそのままにしておくのは勿体無いので、少しづつときほどいていきたい。

まずは、「上手い写真の基準」について。


写真を撮り始めた頃、デジカメのスゴさに驚きました。
AF(オートフォーカス)とAE(自動露出)が付いて、ズームレンズも安くて高倍率。
猫の顔にピント合わせれば、それだけでキレイな写真ができてしまう。

おお~っ! オレって天才だぁ。
出てくる画像を見て、つい思ってしまう。

でも、しばらくやってると気付いたんですよ。
自分が撮る写真はどれも同じだなぁって。
最初はキレイに見えた写真達が、繰っていくたびどんどん見飽きてくる。

上手い人の写真は、空気感や季節感、人の息遣いまでも感じられて、なおかつ写し手の個性がでている。
何枚観ても新鮮に思え、見飽きる事はない。

なぜだろう??
  #おっと、MARさんの提言「1. 何でも、どうして?って思える事が大事」だ。

当時の私は、猫が居る事に喜んで、猫に近づくことに満足して。
猫を写した事で納得してしまっていた。
猫を写すだけ満足してしまってたんですね。

そりゃ、それなりに構図などを考えたりと工夫してるつもりではありました。
でも、それってカメラの角度や位置を変えるぐらいのことしかやってなかったんです。
あとは、猫の顔にピント合わせてシャッターを押すだけ。

努力も工夫も、大してしていない。
これだと、個性なんて入る余地が無いですよね。

カメラが全部自動でしてくれて、自分は猫の方にレンズを向けるだけなら。
撮影者は誰でも良いってことになる。
極論だけど、猫が来たことを感知して自動でシャッターを切ってくれる装置があれば、撮影者すらいらないことになる。

これは、ちょっと哀しい。
でも、事実。

カメラから吐き出される画像はとてもキレイだから、つい騙されちゃうんだけど。
もしかして写真を撮ってたのは、自分自身ではなくてカメラだったとしたら。

目の前にあるその写真、ホントに自分が撮りたかった写真なんだろうか?

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-続く-
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by nekogatari | 2008-07-18 18:31 | H2
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MARさん、この間お会いした時、
「福岡のキヤノンギャラリーで、Hoshinoさんの猫ポートレイト写真の前で泣いてる人がいましたよ」 っておっしゃってましたよね。

私が猫を「ポートレイト的」に撮る時、その猫が一番『輝いて見える』アングルや表情に気を配り撮影します。 涙を流す写真なんかじゃ無い、もっと希望に満ちた写真だと自分では思ってました。

だから、キヤノンギャラリー銀座で写真を見て泣いている人に話を伺ってみたんです、、、
そして自分の未熟さに初めて気が付きました。

「10年前に死んでしまった猫に そっくりなんですよ・・・」

きっと、その人の愛猫と写真の猫は、そんなに似てなかったと思います。
でも、その凛とした猫の横顔に、大好きだったあの子の姿が重なったんでしょう。

こんなメールを頂いた事もあります。
「Hoshinoさんの写真を見てると、もう会えない人や、遠くにいる大切な人を思い出して涙が出ます。」

・・・私の写真で泣いてるんじゃない・・・

彼らの記憶のスイッチを、私が写した「気高く一生懸命生きる猫」の肖像が入れただけなんです。 

私達が写す外猫達は、間違いなく私達の事を待っていた訳じゃないし、もっと言えば、至近距離でポートレイトを撮らせてくれる猫は、誰にだって懐っこい。 「人間は何かをくれるパートナー的存在」だから、猫もそれを期待して擦り寄ってくるんじゃないかな。 「エサでつらない」ってどんなに言い切っても、彼らがココロのどこかで期待している以上、「ルアーでつってる」ようなものだと思う。 だから、撮影者は、決して思い上がってはいけないと思う。 

だから、パパッと撮っただけじゃ「何かちょうだいよ!」っていう表情にしか写ってないはずです。それは、その物欲しげな表情は真実なんですよ。 でも、それじゃ「ただ写しただけの写真」なんです。 その先の想像なんて何も浮かばないんです。

そうじゃない、「どうしてこの猫はここに居るんだろうか」って考えて、その裏側で猫達を全身全霊で守ってる人達の存在までもイメージして、「そうか、ここであの人を待ってるんだね」ってまで想像出来るようじゃなければ「表現者」とは言えないんじゃないかな。 人待ち顔だったり、寂しそうだったりって感じの写真になるか否かって、案外そんな単純なものじゃないかな。

ただ一枚のポートレイト写真をポンと見せて、それで見る者の魂を揺さぶるのは難しい。

飛んだり、走ったり、食べたり、寝てたり、、、彼らの普段の日常全てを、カメラを操る者にしか見ることの出来ない瞬間として映像化する。 「何でこんな場所でこんな事してるの?」って見た者に揺さぶりをかける。 淡々と、多くを語ってはいけない。 
そう、静かな湖面に一つ、また一つと波を起すそよ風のような「ケレ」の写真。 
やがて「ハレ」の写真を目の前にした時、さざ波は抑え様のない大きな波となって押し寄せるんです。

湖面に、大きな石を投げ入れても、その波紋は直ぐに消えてなくなる。

私は、そよ風であり続けたいと思う。
  
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by nekogatari | 2008-07-18 00:11 | Hoshino

表現者を目指して。(MAR)

>『猫の写真でだって、絶対に作品は作れます。』

Hoshinoさんと、始めて接触した約3年前を思いだします。

確かに、写真と写真表現は違いますよね。
カメラマンと写真家の違いでもあるのでしょうか。
事実をありのまま、主観を入れずに客観的に伝えるのがカメラマンだとしたら
その事実に想いを込めて主観的に伝えていこうとするのが写真家...。

『ただ写ってる写真』と『表現した写真』
違いは誰が決めるんでしょうね?例えば僕らが撮る猫の写真
走ったり、飛んでたりしてる写真なら表現した写真で、
ポートレートっぽい写真は、ただ写ってる写真...。
きっと、そんな単純な事をHoshinoさんは、言いたいわけじゃない。
そこに、なにか作家としての味付けがないといけないって事なんだと思う。

見る人によっては、猫が飛んでるだけ、走ってるだけと捉える方もいるだろうし
逆に猫のポートレートを見て、感動の涙を流す人もいるかもしれない。
見る方によって受け取り方も違うし、必ずしも作家の想いと見る側の想いが
一致するわけではない。でもそれが表現の世界なのかとも思います。
うまく自分の想いを伝える努力も必要なんだと最近ほんと思います。

僕に関して言えば、表現していく事って、ほんとに難しいと思っています。
何か感じた瞬間にシャッターを切っているつもりですが、それが写真を見て
いただく方に自分が表現したい事が伝わっているのかどうかは、自信がないですね。
まだまだ、これからの課題です。
東京で出会った猫写真家と書いてある通り、写真家にならなくてはと強く思って
います。日々、色々悩みながら、自分の作品と向き合っていきたいですね。
頭で考える写真ではなく、気持ちに訴える写真を目指して。

>但し、人間として幼稚な人には無理です。
傷つき、苦しみ、感動して、泣いて、喜ばれて、、、自分を磨いてください。

はい、肝に銘じて頑張ります。
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by nekogatari | 2008-07-17 02:09 | MAR
祈り へのコメントを受けて

今の時代、カメラが撮影に必要な操作のかなりの部分をサポートしてくれますよね。
かつてピントと露出を合わせられるだけで「プロ」と呼ばれた時代もあったんです。

顕著な例は、スポーツ写真。最近じゃ読み捨てられる運命のスポーツ新聞でさえ、ドラマチックな写真が多くなったと思いませんか?

確かに、ピントも露出もマニュアルで、しかもフィルムチェンジの間合いさえ配慮しなければいけない現場では、「撮影職人」が必要だった。絶対にピントが合った決定的瞬間を明日の朝刊に載せる為に、「ちゃんと写ってる」事が最優先だった。

今では、300mm位の望遠レンズも普通に買えるし、(かつては特殊なレンズだった)ピントだってカメラが合わせてくれる。8ギガのCFを突っ込んどけば、残りの枚数なんか気にならないからバンバン撮れる。 自ずと「感性やセンス」を発揮する余裕が生まれますよね。

と言うか、もはやただ「写ってる」だけじゃ仕事にならないんですよ。だから若くて熱いカメラマン達がバンバン感動的なスポーツ写真を撮ってのし上がって来る。 今や、スポーツ写真って写真表現としてみてもレベルの高いジャンルになって来た。まさにその写真は「人間ドラマ」なんですよ。

「猫の写真」に関して言えば、未だ未だ「写すので精一杯」って感じかな。 表現するに至ってないんですよ。 もちろんそれでも趣味でやってる分にはかまわないですよね。 「走ってる電車より、ホームに止まってる電車を克明に記録したい」 「好きな人を出来るだけ可愛く、アップで、背景もボカして写したい」って言うのの「猫写真版」だとすればそれで良いんですよ。

でも、これは「写真」であって「写真表現」じゃないんですよ。 「好きな物を撮りたい」って言うのと「何かを表現する」って全然違うんです。 その違いに気付かない(認めたくないのかな?)人が多いんですよ。 だから、いつまでたっても「犬猫写真」なんて揶揄されちゃうんです。 残念でなりません。

はっきり言います。

『猫の写真でだって、絶対に作品は作れます。』

但し、人間として幼稚な人には無理です。
傷つき、苦しみ、感動して、泣いて、喜ばれて、、、自分を磨いてください。
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by nekogatari | 2008-07-16 23:44 | Hoshino

雨上がり (H2)

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Hoshino wrote:
そう、「空気感」を表現出来る人って、写真を見てくれた人に対し『どんな記憶のスイッチを入れて貰おうか』まで想像してイメージを創造出来る人なんですよ。

どうって事無いでしょう? ただの紙から「空気感」を感じられる人であれば、それを表現出来ないはずが無いでしょう?


この部分、目からうろこです。
そっか、写真って結局は2次元で色が置かれている物なんですよね。
それを見て空気を感じるということは、空気を色で表現しているということなのか。

今度、空気を読んで写真を撮ってみよっと。

次のお題は、「上手い写真」の基準かぁ。
良いですねぇ。

で、そのままMARさんへ スルーパス。
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by nekogatari | 2008-07-16 18:52 | H2

祈り (Hoshino)

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ちゃぶ台返しのHoshinoです。

ところで、「上手い写真」って基準は、何なんだろうね? 
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by nekogatari | 2008-07-16 14:29 | Hoshino
Hoshinoです。

フィルムは光を正確に受けるだけなので、写った写真は(その時の光によって)青くなったり赤くなったりしますよね。 デジタルカメラは光を集めに行くんですよ。 集めて考えて、そして妥協点を創造するんです。 ホワイトバランスをオートにしておけば、普通に人間が認識したイメージになりますよね。 

さて、どうして私達は『写真』を見て、「雰囲気」や「空気感」を感じるんでしょう?

それは、過去の膨大な経験から蓄積された「記憶」と、目の前の「画像」とを照合し、想像して、そこにあるはずも無い「ニオイ」や「温度」を感じるんじゃないでしょうか。

そう、「空気感」を表現出来る人って、写真を見てくれた人に対し『どんな記憶のスイッチを入れて貰おうか』まで想像してイメージを創造出来る人なんですよ。

どうって事無いでしょう? ただの紙から「空気感」を感じられる人であれば、それを表現出来ないはずが無いでしょう?

イマドキのカメラは高性能過ぎて、まるで数式を解き明かすかのように正確な画像しか吐き出さないんです。 「絵作り」ってそうじゃないんですよ。 自分の記憶色で良いんです。 もっと言えば、ホワイトバランスは「太陽光」で良いんじゃないかな。5200°で。 そう、フィルムの時代のように時々刻々と変る光の色こそが、魂を揺さぶるんじゃないかな。
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( ↑ ホワイトバランス:太陽光  ピクチャースタイル:風景)

( ↓ ホワイトバランス:オート   ピクチャースタイル:スタンダード)
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【この記事は、Hoshinoの超主観的且つ独善的な考えで書いてます。その点、ご了承ください】
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by nekogatari | 2008-07-16 00:40 | Hoshino