写真で綴る野良猫達の物語


by nekogatari

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写真の持つ力 (H2)

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言葉で他人を動かすことは、とても難しい。
たとえ百万言費やそうとも。
どんなに耳元で声を張り上げようとも。
聴き手がこちらの言葉に耳を貸そうとしなければ、その言葉は決して相手の心には届かない。

写真は何も語らない。
ただ、そこに存在しているだけ。
ムリに誰かを呼び止めたり、力づくでこちらに向かせるようなことはしない。
けれど力のある写真は、観る人の心に眠っていた感情を揺さぶり目覚めさせる。

ふと見た写真がいつまでも心に留まり、気に掛かる。
揺り動かされた感情は、大きく膨らむこともあれば、小さな揺れを心に残し続けることもある。
目に見えないような、かすかなゆさぶりであっても。
一度揺さぶられた感情は、その痕をしっかりと心に刻み付ける。

そんな、”写真の持つ力”を信じたい。
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by nekogatari | 2008-12-07 15:12 | H2
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馴染みの猫や見知った猫の姿を、ある日突然見なくなるときがある。
どうしたんだろう、今日はたまたま出会わないだけなのだろうか。
そんな風に思いながらも、やたらと気になり撮影場所に行くたび、彼の姿を探し回る。
そしてそのまま出会えなくなるときもあるのだけれど。
場合によっては、何日か後にフラッとあらわれたり、前の場所とは離れた所で出くわすこともある。
そんなときは、ホッとしながら彼らの無事を感謝する。

猫達の姿が見えなくなり、彼らの姿を探すとき。
いつも後悔の念が頭をよぎる。
ああ、もう少し彼の姿をカメラに収めておくべきだった。
もっときちんと彼を撮っておくべきだった。

すべての猫を撮りきれるわけじゃない。
よくわかっているのだけど。
せめて自分が気にかけている猫達だけは。

だから彼らと再会できたときは、ふたたびめぐってきたチャンスに感謝する。
以前はできなかった気持ちで、以前とは異なる距離感で。
今度こそは、後悔しなように。
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by nekogatari | 2008-12-01 10:36 | H2

喝采 (Hoshino)

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H2さん、藤原新也さんの最新作「日本浄土」読んでみて下さい。少し光が見えるんじゃないかな。
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by nekogatari | 2008-08-12 01:25

横断 (H2)

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e_kuratoさんのコメントに応えて

猫達が穏やかな町は、大抵町全体が穏やか。
猫の存在を許容する余裕があるのでしょうね。

同じような人情をウリにしている下町でも、猫達の警戒心がすごいところもあります。
そういう所ではペットボトルすら置いてません。
猫除けなんて必要ない状態なんですよ。
一見、綺麗だけれど。
その実、猫の存在がかなり危うい状態だったり。
雑誌では、猫の居る下町などと紹介されてたりするところですが。

今の時代、良い雰囲気を維持するのはとても難しい。
だれもが自分の快適さを優先し、他者への寛容さを失いがちです。
猫って雰囲気を察知する天才ですから、そんな町の雰囲気が彼らにも反映するんでしょう。

そんな現代、穏やかで風情のある町が消えて行くのを寂しがるのではなく、残っていたことを喜ぶべきなのかもしれません。

写真って、撮った瞬間に過去になるって誰かが言ってましたが。
今現在、過去になりつつある風景。
その風景を素直に写していこう。

猫達が居る町を。
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by nekogatari | 2008-08-11 21:49 | H2
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おそらく、それまで知らなかった猫の魅力を知ってしまったからなんだと思う。
彼らの姿を追っていると、日々新しい魅力に気づかされる。
こんな仕草をするのか、こんな表情をするのか。
そのたびに驚き、感嘆する。
この感動を写真に収めたい、この感動を皆に伝えたい。
その思いが、彼らの姿を追わされるのだろう。

だから写真なんだ。
言葉は要らない。

みなさんのエントリーを読んで、そのことに気づいた。



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by nekogatari | 2008-08-09 18:58 | H2

20時12分 (Hoshino)

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真夏の日中、焼けたアスファルトやコンクリートの上は、
地上20cmで暮らす生き物にとっては灼熱地獄
だから、専ら早朝と夜に活動する外猫達

陸風から海風へ
外で暮らす猫達の都合に合わせて散策すれば
ドキっとするような心地よい風に身を洗われる

ボランティアさんも帰り、釣り人も帰り、楽しそうな家族の歓声も消え
TOKYOのど真ん中に居ながら 足元さえおぼつかない闇の中
時には残酷で 時には優しい 誰も見てない彼らの本当の姿

人間なんて手も足も出ないのは良く知っているから
僕ら写真を撮る者にしか見えない 誰も見てない彼らの本当の姿

「この景色は、僕にしか見えてないんだ」

こうして、いつの間にか野良猫写真の虜になって行った

・・・・

「もう会えないかもしれない」

外で暮らす生き物と出会う時 刹那と憧れに支配されるのは
僕らも今 偶然に生かされてる奇跡を知るからだろう

彼らも 僕らも 今 生きている!

僕らも 彼らも 明日も 生きたい!

そんなシンプルな事に気付くだけで 全てが「物語」に見えてくるはず

・・・・

そう、事実を事実として写すだけでは記録に過ぎない
「物語」がなければ、映像は過去の一瞬の出来事に過ぎない

野良猫を撮る事によって、そんなシンプルな「写真の秘密」を知ってしまった
そして、そんなシンプルな「写真の秘密」を少しでも多くの人に知って欲しいと思う

だから、今日も野良猫の写真を撮るんだと思う
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by nekogatari | 2008-08-09 12:58 | Hoshino

pure-mind (MAR)

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猫と出会い、撮影する。
今、目の前にいる猫は出会う事の出来た僕にしか撮影する事は出来ない。
次が必ずあるわけではない事を僕らは知っている。
だからこそ、自分の想いを込めて撮影をする。

それが、自分にしか撮れない写真って事なんじゃないかな。
構図や色は真似できても、想いは真似する事はできないと思うから。

うまく言えないけど、そんな気がします。
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by nekogatari | 2008-08-09 04:57 | MAR
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「MARさんに、最近の写真はH2さんらしさが出ていない。以前のH2さんの写真の方が好きですね」(意訳)
なんて言われてしまった

以前の写真と今の写真、何が変わったのだろう。
以前は、猫が跳んだり跳ねてるだけで嬉しくて、そのままシャッターを切っていた。
でも、それだと単に跳んだり跳ねたりしているだけの写真。
ちょっと猫を追ってれば、おそらく誰にでも撮れてしまう。

誰もが撮れる写真なんて撮っても意味が無い。
私だから撮れる写真を撮りたい。

ならば、私だから撮れる写真とは何だ?
私とは、H2とは何者なんだ?
他者とは異なる個としてのH2を為すものは何なのだ?

ここで己と他者との差異とはなんぞやって話を続けると、どうしようもなく長くなるのでハショる。
#というか、書いたけど読んでもらえそうに無いので全部消した。
ま、簡単に言うと「己が撮りたいネコ写真ってなんだ?」ってことだった。
ここからまた、うだうだと話は続くのだけれど、それも長すぎるのでハショります。

幸い、数ヶ月間考えた結論をご用意しているのでそちらをご覧ください。

結論「”きちんと生きた猫”を写真に収めたい。」

”生きた猫”というのは、その環境でしっかりと命を全うしている姿。
コンクリートやアスファルトに覆われた街で生を受け、営み、死んでいく。
自らの生に疑問を持たず、その境遇を受け入れ、日々生活する猫達。

彼らの姿を撮らえ描写しようとするなら、彼らだけを撮るのではなく。
彼らの生きている環境も写さなきゃいけない。
そのためには、彼らに迫るだけじゃダメだ。
そんな風に考えるようになった。

こうなると撮影時にいろんな事を考えるので、素直には撮れなくなる。
ファインダーを覗く前に、色んな計算もするようになる。
恣意的でなく、それでいて意図を明確にする、なんてことも考えるようになった。

以前のような素直な気持ちで撮影した方が良いのかどうかは判らない。
でも、猫達が見せてくれる驚きの姿。
それを撮るには、以前のような撮り方では無理だということが判ってしまったのだ。

そんなわけでしばらく、この今のままで進もうと思ってる。
これを突き抜ければ、また素直にも撮れるようになるかもしれない。


そういや、なんの話をするんだっけ。

「なぜ野良猫の写真を撮るのか」だった。
全然まとまらないや。



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by nekogatari | 2008-08-08 18:39 | H2

blue moment (Hoshino)

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なぜ野良猫の写真を撮るのかって?

一言で言えば、「私が見たいと思う野良猫の写真が、何処にも無いから」です。

もちろん撮り続ける内に、色々な事が見えて来ます。

理想を言えば、私達の撮影対象になる猫(外で暮らさざるを得ない猫)がいない時代が来れば良い。 でも、現実はそうじゃない。 だったら、私達が見た事実を淡々と、そして私達写真を撮る者にしか見えない視点で「映像」として残したい。 理屈は後からついてくるんです。

日本の「猫の写真集」って「ムック」ばっかりでちゃんとした「写真集」が殆んど無い。
過去10年振り返っても、きちんと作られた猫写真集って、武田花さんの 「猫 TOKYO WILD CATS」 位かな。(あの巨匠の猫写真でさえ、ペラペラのムックで出版されちゃうんですから、、、残念です。) 猫の写真が完全に消耗品として扱われていますね。 これじゃ夢が無いですよね。

書店で夢が売ってないんだったら、「自分で撮るしかない」でしょう?

(*既存の本が悪いって言ってるんじゃないですよ。私が買いたいと思う写真集が無いって事ですからね。)
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by nekogatari | 2008-08-06 01:25 | Hoshino
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今日、仕事を早々に切り上げてキヤノンギャラリー銀座で開催されている「癒しのシルエット」-ケンタッキー・サラブレットの朝-展を見に行ってきました。

タイトル通り「朝」の写真が中心の「サラブレット物語」でした。
朝日なのに「赤い」写真が多いのが多少気になりましたが、イメージの世界ですから表現としてはこれもアリかなと思います。
馬の「顔のUPの表情」じゃ無く「フォルムの表情」で見せる写真群。 やっぱり「馬」ってどんなに小さく写しても「馬」としての存在感が有るんですね。 猫科の動物のシルエットと相通じる部分が多いな~って思いました。

キヤノンギャラリー銀座で動物写真の展示がある時は、万難を排して見に行くようにしていますが、今年は生き物系の写真展は(企画展を除いて)まだ今回で2回目なんです。(猿1回、サラブレット1回) 昨年なんか年間でたったの3回。(サラブレット1回、猫1回、動物園1回)

動物の写真展が少ないのは淋しい限りですね。
そんな中、この3年間毎年「馬」の写真が当選し、展示されてるんですよ。 動物園や野鳥、そして猫の写真を撮ってる人の方が圧倒的に多いハズなのにネ。

「馬を撮る」だけじゃテーマじゃないんです。
「どうまとめるか」「どう捉えるか」
今回の稲田さんの場合、「朝日の中のサラブレット」に絞った着眼点が評価されたんじゃないかな。ご自身もプロフィールで書いてましたが、決して「ベテランカメラマン」さんじゃないですから。

私達が猫の写真を撮る時の、何か大きなヒントがその辺りに有るんじゃないかな。
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by nekogatari | 2008-07-25 01:24