写真で綴る野良猫達の物語


by nekogatari

カテゴリ:Hoshino( 46 )

夢 (Hoshino)

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今までの私だったら、多分この写真を撮らなかっただろう。

「切磋琢磨」

だから仲間って素晴しい。
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by nekogatari | 2008-08-11 00:38 | Hoshino

20時12分 (Hoshino)

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真夏の日中、焼けたアスファルトやコンクリートの上は、
地上20cmで暮らす生き物にとっては灼熱地獄
だから、専ら早朝と夜に活動する外猫達

陸風から海風へ
外で暮らす猫達の都合に合わせて散策すれば
ドキっとするような心地よい風に身を洗われる

ボランティアさんも帰り、釣り人も帰り、楽しそうな家族の歓声も消え
TOKYOのど真ん中に居ながら 足元さえおぼつかない闇の中
時には残酷で 時には優しい 誰も見てない彼らの本当の姿

人間なんて手も足も出ないのは良く知っているから
僕ら写真を撮る者にしか見えない 誰も見てない彼らの本当の姿

「この景色は、僕にしか見えてないんだ」

こうして、いつの間にか野良猫写真の虜になって行った

・・・・

「もう会えないかもしれない」

外で暮らす生き物と出会う時 刹那と憧れに支配されるのは
僕らも今 偶然に生かされてる奇跡を知るからだろう

彼らも 僕らも 今 生きている!

僕らも 彼らも 明日も 生きたい!

そんなシンプルな事に気付くだけで 全てが「物語」に見えてくるはず

・・・・

そう、事実を事実として写すだけでは記録に過ぎない
「物語」がなければ、映像は過去の一瞬の出来事に過ぎない

野良猫を撮る事によって、そんなシンプルな「写真の秘密」を知ってしまった
そして、そんなシンプルな「写真の秘密」を少しでも多くの人に知って欲しいと思う

だから、今日も野良猫の写真を撮るんだと思う
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by nekogatari | 2008-08-09 12:58 | Hoshino

blue moment (Hoshino)

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なぜ野良猫の写真を撮るのかって?

一言で言えば、「私が見たいと思う野良猫の写真が、何処にも無いから」です。

もちろん撮り続ける内に、色々な事が見えて来ます。

理想を言えば、私達の撮影対象になる猫(外で暮らさざるを得ない猫)がいない時代が来れば良い。 でも、現実はそうじゃない。 だったら、私達が見た事実を淡々と、そして私達写真を撮る者にしか見えない視点で「映像」として残したい。 理屈は後からついてくるんです。

日本の「猫の写真集」って「ムック」ばっかりでちゃんとした「写真集」が殆んど無い。
過去10年振り返っても、きちんと作られた猫写真集って、武田花さんの 「猫 TOKYO WILD CATS」 位かな。(あの巨匠の猫写真でさえ、ペラペラのムックで出版されちゃうんですから、、、残念です。) 猫の写真が完全に消耗品として扱われていますね。 これじゃ夢が無いですよね。

書店で夢が売ってないんだったら、「自分で撮るしかない」でしょう?

(*既存の本が悪いって言ってるんじゃないですよ。私が買いたいと思う写真集が無いって事ですからね。)
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by nekogatari | 2008-08-06 01:25 | Hoshino

距離 (Hoshino)

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by nekogatari | 2008-08-03 00:31 | Hoshino

狩猟本能 (Hoshino)

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by nekogatari | 2008-07-31 00:46 | Hoshino

遠い灯り (Hoshino)

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by nekogatari | 2008-07-27 01:23 | Hoshino

肖像 (Hoshino)

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by nekogatari | 2008-07-23 14:18 | Hoshino

西日 (Hoshino)

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by nekogatari | 2008-07-23 00:20 | Hoshino

隙間に生きる (Hoshino)

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「東京 猫語り」のメンバーなのに、最近東京の猫さんを撮って無い私。
これじゃイカン!そしてガソリン代も高いし、海は混んでるんで、、、
久々に(2年ぶり位かな)近場の下町を軽く歩いてみました。

「下町っぽく撮ろう」なんて考えは、やっぱり全く湧きませんでした。 
無理に町並みを入れた所で、「武田 花」さんが撮ってた頃の様な町並みは、東京にはもう無いんですよ。 かろうじて残ってる場所も、建て替えさえ出来ずに残ってしまった場所なんじゃないかな。

むしろ「ゴチャゴチャ新旧入り混じった街」や、「空虚な空き地や隙間だらけの街」、「無秩序に放置された街」を撮ってこそ『平成も既に20年の東京を生きた猫』の生きた証なんじゃないかなって思います。

とか言いながら、、、全然いつもと変らぬ写真ばかりでした。 
平成20年を生きる東京の猫は、お二人に任せましたよ。 ハイ。
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by nekogatari | 2008-07-20 23:58 | Hoshino
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MARさん、この間お会いした時、
「福岡のキヤノンギャラリーで、Hoshinoさんの猫ポートレイト写真の前で泣いてる人がいましたよ」 っておっしゃってましたよね。

私が猫を「ポートレイト的」に撮る時、その猫が一番『輝いて見える』アングルや表情に気を配り撮影します。 涙を流す写真なんかじゃ無い、もっと希望に満ちた写真だと自分では思ってました。

だから、キヤノンギャラリー銀座で写真を見て泣いている人に話を伺ってみたんです、、、
そして自分の未熟さに初めて気が付きました。

「10年前に死んでしまった猫に そっくりなんですよ・・・」

きっと、その人の愛猫と写真の猫は、そんなに似てなかったと思います。
でも、その凛とした猫の横顔に、大好きだったあの子の姿が重なったんでしょう。

こんなメールを頂いた事もあります。
「Hoshinoさんの写真を見てると、もう会えない人や、遠くにいる大切な人を思い出して涙が出ます。」

・・・私の写真で泣いてるんじゃない・・・

彼らの記憶のスイッチを、私が写した「気高く一生懸命生きる猫」の肖像が入れただけなんです。 

私達が写す外猫達は、間違いなく私達の事を待っていた訳じゃないし、もっと言えば、至近距離でポートレイトを撮らせてくれる猫は、誰にだって懐っこい。 「人間は何かをくれるパートナー的存在」だから、猫もそれを期待して擦り寄ってくるんじゃないかな。 「エサでつらない」ってどんなに言い切っても、彼らがココロのどこかで期待している以上、「ルアーでつってる」ようなものだと思う。 だから、撮影者は、決して思い上がってはいけないと思う。 

だから、パパッと撮っただけじゃ「何かちょうだいよ!」っていう表情にしか写ってないはずです。それは、その物欲しげな表情は真実なんですよ。 でも、それじゃ「ただ写しただけの写真」なんです。 その先の想像なんて何も浮かばないんです。

そうじゃない、「どうしてこの猫はここに居るんだろうか」って考えて、その裏側で猫達を全身全霊で守ってる人達の存在までもイメージして、「そうか、ここであの人を待ってるんだね」ってまで想像出来るようじゃなければ「表現者」とは言えないんじゃないかな。 人待ち顔だったり、寂しそうだったりって感じの写真になるか否かって、案外そんな単純なものじゃないかな。

ただ一枚のポートレイト写真をポンと見せて、それで見る者の魂を揺さぶるのは難しい。

飛んだり、走ったり、食べたり、寝てたり、、、彼らの普段の日常全てを、カメラを操る者にしか見ることの出来ない瞬間として映像化する。 「何でこんな場所でこんな事してるの?」って見た者に揺さぶりをかける。 淡々と、多くを語ってはいけない。 
そう、静かな湖面に一つ、また一つと波を起すそよ風のような「ケレ」の写真。 
やがて「ハレ」の写真を目の前にした時、さざ波は抑え様のない大きな波となって押し寄せるんです。

湖面に、大きな石を投げ入れても、その波紋は直ぐに消えてなくなる。

私は、そよ風であり続けたいと思う。
  
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by nekogatari | 2008-07-18 00:11 | Hoshino