写真で綴る野良猫達の物語


by nekogatari

ジャ、ッンプ! (H2)

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「MARさんに、最近の写真はH2さんらしさが出ていない。以前のH2さんの写真の方が好きですね」(意訳)
なんて言われてしまった

以前の写真と今の写真、何が変わったのだろう。
以前は、猫が跳んだり跳ねてるだけで嬉しくて、そのままシャッターを切っていた。
でも、それだと単に跳んだり跳ねたりしているだけの写真。
ちょっと猫を追ってれば、おそらく誰にでも撮れてしまう。

誰もが撮れる写真なんて撮っても意味が無い。
私だから撮れる写真を撮りたい。

ならば、私だから撮れる写真とは何だ?
私とは、H2とは何者なんだ?
他者とは異なる個としてのH2を為すものは何なのだ?

ここで己と他者との差異とはなんぞやって話を続けると、どうしようもなく長くなるのでハショる。
#というか、書いたけど読んでもらえそうに無いので全部消した。
ま、簡単に言うと「己が撮りたいネコ写真ってなんだ?」ってことだった。
ここからまた、うだうだと話は続くのだけれど、それも長すぎるのでハショります。

幸い、数ヶ月間考えた結論をご用意しているのでそちらをご覧ください。

結論「”きちんと生きた猫”を写真に収めたい。」

”生きた猫”というのは、その環境でしっかりと命を全うしている姿。
コンクリートやアスファルトに覆われた街で生を受け、営み、死んでいく。
自らの生に疑問を持たず、その境遇を受け入れ、日々生活する猫達。

彼らの姿を撮らえ描写しようとするなら、彼らだけを撮るのではなく。
彼らの生きている環境も写さなきゃいけない。
そのためには、彼らに迫るだけじゃダメだ。
そんな風に考えるようになった。

こうなると撮影時にいろんな事を考えるので、素直には撮れなくなる。
ファインダーを覗く前に、色んな計算もするようになる。
恣意的でなく、それでいて意図を明確にする、なんてことも考えるようになった。

以前のような素直な気持ちで撮影した方が良いのかどうかは判らない。
でも、猫達が見せてくれる驚きの姿。
それを撮るには、以前のような撮り方では無理だということが判ってしまったのだ。

そんなわけでしばらく、この今のままで進もうと思ってる。
これを突き抜ければ、また素直にも撮れるようになるかもしれない。


そういや、なんの話をするんだっけ。

「なぜ野良猫の写真を撮るのか」だった。
全然まとまらないや。



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by nekogatari | 2008-08-08 18:39 | H2