写真で綴る野良猫達の物語


by nekogatari

隙間の無い写真からは、想像は生まれない。(Hoshino)

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MARさん、この間お会いした時、
「福岡のキヤノンギャラリーで、Hoshinoさんの猫ポートレイト写真の前で泣いてる人がいましたよ」 っておっしゃってましたよね。

私が猫を「ポートレイト的」に撮る時、その猫が一番『輝いて見える』アングルや表情に気を配り撮影します。 涙を流す写真なんかじゃ無い、もっと希望に満ちた写真だと自分では思ってました。

だから、キヤノンギャラリー銀座で写真を見て泣いている人に話を伺ってみたんです、、、
そして自分の未熟さに初めて気が付きました。

「10年前に死んでしまった猫に そっくりなんですよ・・・」

きっと、その人の愛猫と写真の猫は、そんなに似てなかったと思います。
でも、その凛とした猫の横顔に、大好きだったあの子の姿が重なったんでしょう。

こんなメールを頂いた事もあります。
「Hoshinoさんの写真を見てると、もう会えない人や、遠くにいる大切な人を思い出して涙が出ます。」

・・・私の写真で泣いてるんじゃない・・・

彼らの記憶のスイッチを、私が写した「気高く一生懸命生きる猫」の肖像が入れただけなんです。 

私達が写す外猫達は、間違いなく私達の事を待っていた訳じゃないし、もっと言えば、至近距離でポートレイトを撮らせてくれる猫は、誰にだって懐っこい。 「人間は何かをくれるパートナー的存在」だから、猫もそれを期待して擦り寄ってくるんじゃないかな。 「エサでつらない」ってどんなに言い切っても、彼らがココロのどこかで期待している以上、「ルアーでつってる」ようなものだと思う。 だから、撮影者は、決して思い上がってはいけないと思う。 

だから、パパッと撮っただけじゃ「何かちょうだいよ!」っていう表情にしか写ってないはずです。それは、その物欲しげな表情は真実なんですよ。 でも、それじゃ「ただ写しただけの写真」なんです。 その先の想像なんて何も浮かばないんです。

そうじゃない、「どうしてこの猫はここに居るんだろうか」って考えて、その裏側で猫達を全身全霊で守ってる人達の存在までもイメージして、「そうか、ここであの人を待ってるんだね」ってまで想像出来るようじゃなければ「表現者」とは言えないんじゃないかな。 人待ち顔だったり、寂しそうだったりって感じの写真になるか否かって、案外そんな単純なものじゃないかな。

ただ一枚のポートレイト写真をポンと見せて、それで見る者の魂を揺さぶるのは難しい。

飛んだり、走ったり、食べたり、寝てたり、、、彼らの普段の日常全てを、カメラを操る者にしか見ることの出来ない瞬間として映像化する。 「何でこんな場所でこんな事してるの?」って見た者に揺さぶりをかける。 淡々と、多くを語ってはいけない。 
そう、静かな湖面に一つ、また一つと波を起すそよ風のような「ケレ」の写真。 
やがて「ハレ」の写真を目の前にした時、さざ波は抑え様のない大きな波となって押し寄せるんです。

湖面に、大きな石を投げ入れても、その波紋は直ぐに消えてなくなる。

私は、そよ風であり続けたいと思う。
  
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by nekogatari | 2008-07-18 00:11 | Hoshino